オンライン遺伝カウンセリングの臨床導入と有効性・課題に関する本邦初の報告
-誰もが必要なときに遺伝医療を受けられる社会へ-
概要
国立病院機構東京医療センター遺伝診療科 村上遥香認定遺伝カウンセラー、山澤一樹医長らの研究グループは、遠隔通信ツールを使用した遺伝カウンセリング(注1)を臨床での実践に導入し、その有効性や課題、利用者満足度について本邦初となる調査結果を発表しました。本研究は、従来の対面での遺伝カウンセリングと比較し、オンライン遺伝カウンセリングの利点や課題、利用者の満足度、そして今後の医療現場への応用可能性について多角的に検討したものです。特に、遠隔地や移動が困難な方々にとってオンライン遺伝カウンセリングがどのような役割を果たし得るのか、また日本の医療制度や文化的背景の中でどのような課題が存在するのかを明らかにしました。
本研究の成果は、遺伝カウンセリングの機会を都市部だけでなく地方や離島、さらには身体的な制約を持つ方々にも広げる可能性を示しています。これにより、医療格差の是正や、患者一人ひとりに合った個別化医療(注2)の実現に大きく貢献することが期待されます。また、オンライン形式の導入によって、患者や家族の負担軽減、受診の難しい患者の遺伝医療へのアクセス向上、さらには感染症流行時の安全な医療提供体制の構築にも寄与することが示唆されました。
本研究成果は、2025年11月21日午前9時(日本時間)に国際科学誌 JMA Journal オンライン版に掲載されました。
背景
近年、遺伝子検査やゲノム医療(注3)の進歩により、遺伝カウンセリングの重要性と需要は急速に高まっています。しかし、日本国内では遺伝カウンセリングを提供する臨床遺伝専門医(注4)や認定遺伝カウンセラー(注5)の数が依然として限られており、特に地方や離島では遺伝カウンセリングを受ける機会が著しく少ないという現状があります。こうした中、情報通信技術の発展とともに、医療分野でも遠隔診療が普及しつつあります。特に新型コロナウイルス感染症の流行以降、オンライン診療や遠隔カウンセリングの導入が加速し、遺伝医療の分野でもオンライン化の必要性が高まっています。欧米諸国では2000年代初頭からオンライン遺伝カウンセリングが導入され、患者の利便性向上や医療アクセスの拡大、コスト削減など多くの利点が報告されていますが、日本ではこれまで、オンライン遺伝カウンセリングに関する臨床研究や体系的な評価は行われていませんでした。
成果
2020年7月から2025年1月にかけて、国立病院機構東京医療センターで遺伝カウンセリングを受けた49名(オンライン:15名、対面:34名)を対象に、匿名アンケート調査を実施しました。調査では、年齢や性別、相談内容、病院までの移動時間、カウンセリングの満足度、通信環境や機器の使いやすさ、オンラインと対面での遺伝カウンセリングそれぞれの利点・課題など、多岐にわたる項目について詳細に分析しました。
その結果、オンラインと対面のいずれのグループでも全体的な満足度は非常に高く、全員が「満足」または「とても満足」と回答しました。ただし、遺伝カウンセリング担当者の自己紹介や役割説明、質問への対応、全体的な満足度については対面の方が有意に高い評価を得ており、対面ならではのコミュニケーションの質や安心感が強調されました。一方、オンライン遺伝カウンセリング利用者は20~30代の若年層が多く、病院までの移動時間が1時間を超える方が半数以上を占めていました。オンライン遺伝カウンセリングの利点としては、移動の必要がないこと、時間や費用の節約、家族が遠隔地からでも参加しやすいこと、感染症リスクの回避などが挙げられました。特に、視覚障害などで通院が困難な方や、遠方に住む家族が同時にカウンセリングに参加できる点は、従来の対面形式では得られなかった新たな価値として評価されました。
一方で、オンライン遺伝カウンセリングの課題としては、プライバシーの確保が難しいこと、通信トラブルや機器操作の不安、画面上で資料が見づらいこと、非言語的なコミュニケーションが制限されることなどが指摘されました。特に日本では、遺伝や家族に関する話題に対する慎重な姿勢やプライバシー意識が強く、オンラインでの情報漏洩リスクに対する懸念が根強いことが関与していると考えられます。また、現時点ではオンライン遺伝カウンセリングは健康保険の対象外であり、費用負担や制度面での課題も浮き彫りとなりました。さらに、医療従事者側にも、資料準備やネットワーク設定、決済システムの構築など、運用面での負担が大きいことが懸念されます。
展望
本研究の結果から、オンライン遺伝カウンセリングは遠隔地や移動が困難な方、視覚障害などで通院が難しい方にとって、遺伝カウンセリングの新たな選択肢となり得ることが示されました。今後は、プライバシー保護や通信環境の整備、利用者の使用しやすいシステムの開発、保険適用の拡大など、制度面・技術面の課題解決が求められます。また、遺伝カウンセリング担当者の自己紹介や役割説明を標準化し、事前に資料を提供するなど、オンライン特有のコミュニケーション課題を補う工夫も重要です。さらに、患者だけでなく医療従事者の意見や運用上の課題も継続的に収集し、現場の声を反映したサービス改善が不可欠です。日本の医療制度や文化的背景に即したオンライン遺伝カウンセリングのガイドライン策定、政策的な支援も重要な課題となり得ます。本研究は、誰もが必要なときに必要な遺伝医療サービスを受けられる社会の実現に向けた重要な第一歩です。
発表論文
雑誌名:JMA Journal
タイトル:Online Genetic Counseling as a Solution for Unmet Needs in Genetic Medicine: The First Survey in Japan
DOI: 10.31662/jmaj.2025-0157
掲載日:2025年11月21日
著者名:Haruka Murakami, Satomi Inoue, Kaoru Fujinami, Tatsuo Matsunaga, Kazuki Yamazawa
研究グループ
国立病院機構東京医療センター 遺伝診療科
認定遺伝カウンセラー 村上遥香
認定遺伝カウンセラー 井上沙聡
医員 藤波芳
科長 松永達雄
医長 山澤一樹
研究資金
本研究は日本学術振興会科学研究費補助金(20K19082, 24K13798)の支援を受けて行われました。
用語解説
(注1)遺伝カウンセリング
遺伝子や遺伝性疾患に関する悩みや不安を持つ方やその家族に対して、専門の医療従事者が相談に応じ、正確な情報提供や心理的サポートを行う医療サービスです。主に、遺伝子検査の結果の説明や、疾患の発症リスク、家族への影響、今後の対応策などについて、わかりやすく丁寧に説明し、本人や家族が納得して意思決定できるよう支援することを目的とします。
(注2)個別化医療
患者一人ひとりの遺伝情報や体質、生活習慣、病気の特徴などに基づいて、最適な治療や予防策を選択・提供する医療のことです。従来の「一律の治療」ではなく、個々の患者に合わせたオーダーメイドの医療を目指すもので、治療効果の最大化や副作用の最小化が期待されています。
(注3)ゲノム医療
ヒトの遺伝情報(ゲノム)を解析し、その結果をもとに病気の診断や治療、予防に活用する医療。がんや希少疾患、遺伝性疾患などの分野で特に注目されており、遺伝子の変化の有無やその種類に応じて、病気の診断や治療薬の選択、リスク評価などが行われます。近年、遺伝子解析技術の進歩により、ゲノム医療の実用化が急速に進んでいます。
(注4)臨床遺伝専門医
遺伝性疾患や遺伝子検査、遺伝カウンセリングに関する高度な知識と経験を持つ医師です。日本では、所定の研修や試験を経て日本人類遺伝学会などが認定します。患者や家族に対して、遺伝子検査の適応判断や結果の解釈、治療方針の提案、心理的サポートなどを総合的に行う役割を担っています。
(注5)認定遺伝カウンセラー
遺伝カウンセリングの専門資格を持つ医療従事者で、医師やその他の専門家と連携しながら、患者や家族への情報提供や心理社会的支援を行います。日本では、大学院での専門教育や実習をうけたのち、認定試験を経て資格が与えられます。遺伝子検査や疾患リスクの評価、家族への影響などの情報提供や心理社会的な支援を通じて、患者が納得して意思決定できるようサポートする重要な役割を担っています。
問い合わせ先
研究内容に関して
独立行政法人国立病院機構東京医療センター
遺伝診療科 医長 山澤一樹
TEL: 03-3411-0111
FAX: 03-3411-0185
Email:
報道に関して
独立行政法人国立病院機構東京医療センター
総務課 庶務係長 川俣佳広
〒152-8902 東京都目黒区東が丘2-5-1
TEL: 03-3411-0111
FAX: 03-3411-0185
Email:
https://tokyo-mc.hosp.go.jp/
詳細は下記の「プレスリリース(PDF)」をご参照ください。